『98円の感情』 | ゑゑ小説 

98円のゑゑ
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失恋した。

振られた。

理由は「なんか合わない」。

…なんか、って何だよ。

心が空っぽになった。

何もかもがどうでもいい。

アイスを3個食べた。

太った。

それもどうでもいい。

ゑゑ

そんなある日、友達が教えてくれた。

「FeelMart」っていうアプリがあるらしい。

不要になった感情を売買できるんだって。

は?

感情を売買?

なにそれ。

でも興味本位でダウンロードしてみた。

開いてみると、そこには信じられない光景が広がっていた。

「悲しみ(失恋)」1,500円。

「怒り(上司への)」980円。

「罪悪感(浮気してしまった)」2,300円。

「嫉妬(妹が結婚した)」1,200円。

…マジか。

みんな、こんなの売ってるのか。

レビューを見ると、みんな「手放してスッキリした」とか「心が軽くなった」とか書いている。

便利な時代になったものだ。

いや、本当に。

私もこの失恋の悲しみ、売ろうかな…

でも、まだ売るには早い気がする。

まだ3日しか経ってないし。

もうちょっとこの悲しみと向き合わないと、人として成長できない気がする。

…とか思いながら、スクロールを続けた。

そして、見つけてしまった。

「初恋のときめき」98円。

……

………安くない?

ときめき、98円?

コンビニのおにぎりより安い。

これは何かあるのか、ないのか。

出品者のプロフィールを見る。

出品者:山田太郎(78歳)

コメント欄:「昔、同じ電車に乗っていた男性への淡い想い。当時の記憶が蘇ってしまうので手放します。格安でお譲りします」

78歳のおじいさんが出品している初恋のときめき。

…なんか、切ない。

でも98円は安い。

失恋して心が空っぽな今、ちょっとくらいときめきを感じたい。

別に新しい恋を始めるわけじゃない。

ただ、この胸の空洞を少しだけ埋めたい。

98円なら、失敗してもいいか。

…よし。

ポチッとな。

購入完了

翌朝。

目が覚めると、何か違和感があった。

胸の奥が、じんわりと温かい。

これが、インストール完了ってやつか。

アプリを開くと、「感情のインストールが完了しました」と表示されていた。

へえ。

こんな感じなんだ。

…でも、別に何も変わらない気がする。

98円、無駄にしたかな。

そう思いながら、いつも通り支度をして、通勤電車に乗った。

そして。

見た。

缶コーヒーを持った、50代くらいのおじさん。

いつも同じ車両に乗ってくる人。

今までは「あ、またこのおじさんいる」くらいにしか思ってなかった。

でも。

その瞬間。

胸が、キュンってした。

は?

え?

なに今の。

おじさんが吊り革を掴む。

…胸がドキドキする。

おじさんが缶コーヒーを飲む。

…顔が熱くなる。

おじさんが窓の外を見る。

…横顔、素敵…

待て待て待て待て。

何を考えてるんだ、私。

これは違う。

これは絶対に違う。

私、このおじさんのこと、何とも思ってなかったはずだ。

いや、存在すら意識してなかった。

なのに。

なんで。

なんでこんなに胸がキュンキュンするんだ。

おじさんが降りる駅が近づいてくる。

私の降りる駅は、まだ先。

でも。

なぜか、一緒に降りたくなる。

ダメだ。

これは完全におかしい。

必死で自分を抑えて、私はその場に留まった。

おじさんが降りていく。

…胸が切ない。

会いたい。

また明日、会いたい。

え?

ちょっと待って。

これ、マジでやばいやつじゃない?

慌てて家に帰って、アプリを開いた。

もう一度、出品者のプロフィールを確認する。

出品者:山田太郎(78歳)

コメント欄:「昔、同じ電車に乗っていた男性への淡い想い。当時の記憶が蘇ってしまうので手放します。格安でお譲りします」

……

………待って。

これ。

もしかして。

おじいさんが、おじさんに抱いていた初恋のときめきってこと?

ゑゑ

私、何を買ったんだ。

何をインストールしたんだ。

しかも「同じ電車に乗っていた男性」って、もしかして…

もしかして、私が毎朝見てるあの缶コーヒーのおじさん、そのものなんじゃないのか?

いや、違う。

違うはず。

78歳のおじいさんが若い頃、50年以上前に見ていた人。

その人が今、50代のわけがない。

つまり、私が恋してるのは、たまたま似てる別人。

…でも、感情ってそういうの、関係ないのか?

初恋のときめきって、特定の人に向けられたものじゃなくて、「そういう雰囲気の人」に反応するものなのか?

哲学的すぎて、頭が痛い。

とにかく、返品したい。

返品させてくれ。

お願いだから。

でもアプリを開くと、大きく表示されていた。

【重要】感情商品はノークレーム・ノーリターンです

使用済みの感情は再出品できません

キャンセルはできません

…詰んだ。

完全に詰んだ。

人生、安物買いの銭失いとはよく言ったものだ。

いや、今回失ったのは銭じゃない。

私の正常な恋愛感情だ。

ゑゑ

それから、私の朝は地獄と化した。

目が覚める。

今日こそ、あのおじさんを意識しないぞ、と誓う。

通勤電車に乗る。

あ、いた。

缶コーヒーのおじさん。

…胸がドキドキする。

ダメだ。

意識しないって決めたのに。

でも、目が勝手におじさんを追ってしまう。

今日の缶コーヒーは、ボスだ。

昨日はジョージアだった。

…なんで私、おじさんの缶コーヒー銘柄まで覚えてるんだ。

やばい。

完全にやばい。

おじさんがスマホを見ている。

何を見てるんだろう。

ニュース?

ゲーム?

もしかして、誰かとLINEしてる?

…嫉妬してる。

私、おじさんに嫉妬してる。

これは恋なのか、呪いなのか。

いや、呪いだ。

完全に呪いだ。

友達に相談した。

「FeelMartで買った感情、おかしくなっちゃったんだけど」

「え、何買ったの?」

「初恋のときめき」

「あー…それ、前の持ち主の記憶とか感情とか、全部込みだからね」

「え?」

「感情って、単体で存在しないじゃん。その時の状況とか、相手とか、全部セットになってるの」

……

………マジか。

つまり、私がインストールしたのは、ただの「ときめき」じゃない。

「78歳のおじいさんが、若い頃、同じ電車に乗っていた男性に抱いていた、切ない片思いの記憶と感情全部」ってこと?

「そうそう。だから中古の感情って、危険なんだよね」

「なんで教えてくれなかったの…」

「だって、98円だよ?安すぎるって気づくでしょ、普通」

ごもっともである。

私が馬鹿だった。

98円に飛びついた私が、完全に馬鹿だった。

でも、どうしようもない。

返品もできない。

削除もできない。

この感情は、私の中に定着してしまった。

毎朝、通勤電車でおじさんを見る。

胸がキュンとする。

切なくなる。

話しかけたいけど、話しかけられない。

…これ、完全に片思いだ。

しかも、相手は50代のおじさん。

私の人生、どうなってるんだ。

ある日、勇気を出して、おじさんの隣に立ってみた。

近い。

めっちゃ近い。

缶コーヒーの匂いがする。

…なんか、懐かしい。

え?

懐かしい?

私、このおじさんと会ったことないのに?

…もしかして、これが山田太郎さん(78歳)の記憶?

怖い。

怖すぎる。

でも、胸が温かい。

この矛盾。

もう、訳が分からない。

キャンセルボタンを連打する日々。

でも、キャンセルなんてできるわけがない。

私はただ、通勤電車でおじさんを見つめるだけ。

今日も、明日も、明後日も。

…悟った。

感情は、絶対に新品に限る。

中古の感情には、前の持ち主の人生が染み込んでいる。

記憶も、思い出も、全部。

それを背負う覚悟がないなら、手を出してはいけない。

人生、そういうものだ。

ゑゑ… (´・ω・`)

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