暗渠のスケッチ

深深夜二時、国道沿いの二十四時間営業のコインランドリーは、ゑゑにとって唯一の書斎のような場所だった。

回る大型ドラムの低周波のうなりと、安っぽい柔軟剤の甘い匂い。ガラス窓の外をトラックが通り過ぎるたび、蛍光灯の光が水底のように揺れる。

ゑゑは折りたたみ式のパイプ椅子に浅く腰掛け、膝の上に置いたスケッチブックに細い製図ペンを走らせていた。

描いているのは、昼間の仕事先で見かけた古びた給水塔の配管の接合部だ。フランジの錆び、腐食したガスケットの繊維、締め付けられすぎて歪んだ六角ボルトの陰影を、ひたすら規則正しいハッチングの線で埋めていく。

「それ、何の図面ですか」

不意に頭上から声をかけられ、ゑゑのペン先が紙面で止まった。

顔を上げると、隣の乾燥機の前に見慣れない男が立っていた。薄手のウインドブレーカーのフードを深く被り、手にはコンビニの薄いビニール袋をぶら下げている。町で見かける典型的な夜行性の住人だが、ゑゑの手元を覗き込むその目は、徹夜の濁りもなく妙に澄んでいた。

「図面じゃないです。ただのスケッチ」

ゑゑは短く答え、ペン先を再び紙に戻した。名前を名乗る必要も、自己紹介をする必要もない、深夜のランドリー特有の希薄な距離感。それが心地よかった。

「無駄に正確ですね。測量士か何か?」 「ビルの設備保守です。昼間は天井裏やピットを這い回って、配管の漏れや老朽化を点検してます」 「へえ、穴を埋める仕事か」

男は自嘲気味に鼻を鳴らすと、乾燥機の丸い窓を指先でトントンと叩いた。中では、男の履き古したスニーカーがゴトゴトと重たい音を立てて回っている。

「俺は逆だな。穴を掘るほうだ」 「道路工事ですか」 「いや。探してるんだよ。この町の下に、昔の暗渠が埋まってるだろ。三十年前に蓋をされた川だ。その図面が、役所の記録から丸ごと消えてる」

ゑゑの手がぴたりと止まった。

彼が毎日潜っているオフィス街の地下ピットの底、鉄の点検扉のさらに奥から、時折かすかな水音が響いてくるのを思い出したからだ。ビルの下水ラインとも、雨水管とも明らかに違う、どこか冷たく、絶え間ない水の流れの気配。施工図面には載っていないその水路の存在を、ゑゑも薄々感じ取っていた。

「見つけてどうするんです」 「どうもしない。ただ、町が忘れた隙間に入り込みたいだけだ。地上のすべてに値札と番地と監視カメラがついてるのが息苦しくてな」

男はそう言って、ビニール袋から缶コーヒーを二本取り出し、一本をゑゑの隣のベンチに無造作に置いた。微かに湯気が立ち上るほど温かかった。

「あんた、配管の絵を描くくらいだ。気づいてるんだろ。この町は、塞ぎきれなかった隙間だらけだってこと」

ゑゑは答えず、冷えた指先を缶の熱で温めた。男の言葉を肯定も否定もしなかったが、胸の奥で何かが静かに噛み合う感覚があった。

乾燥機の終了ブザーが、無機質にピーと鳴り響いた。男は礼も言わずに乾いたスニーカーを取り出して足を通すと、濡れたアスファルトを踏む足音を残して、夜の路地へと消えていった。

残されたゑゑは、しばらく開け放たれたままの乾燥機の熱気を感じていた。膝の上のスケッチブックを見つめる。きっちりと描かれた給水塔の配管の脇に、ゑゑは迷わず新しい線を一本引いた。どこにも繋がっていない、ただ闇の奥へと抜けていく細いパイプの輪郭を。

翌日の午後、ゑゑは築四十年の雑居ビルの最下層、地下三階の機械室にいた。

湿気とグリスの匂いが混ざり合った空間で、大型の循環ポンプが重たい唸りを上げている。ゑゑは作業着のポケットから懐中電灯を取り出し、図面と現実のパイプラインを見比べた。青焼きの図面には描かれていない、コンクリートの壁の亀裂。その奥に、黒錆びた鉄製の点検扉が塗り込められたように収まっていた。

昨日までなら、単なる躯体の継ぎ目として見過ごしていただろう。だが昨夜の男の言葉が、耳の奥にこびりついて離れなかった。

ゑゑは腰道具からバールを抜き出すと、扉の周囲を覆っていた劣化したモルタルを慎重に削り落とした。蝶番に潤滑油を差し、渾身の力で引く。軋んだ金属音が地下室に響き渡り、やがて重い扉が数センチだけ開いた。

そこから吹き出してきたのは、生温かいビルの空気ではなく、驚くほど冷たく澄んだ地下の風だった。微かに、せせらぎの音がする。

ゑゑは隙間に体を滑り込ませた。

ビルの基礎梁の下をくぐり抜けると、そこにはアーチ状のレンガ造りのトンネルが果てしなく続いていた。足元にはくるぶしほどの深さで、澄んだ冷水が音を立てて流れている。

地上の喧騒も、換気扇の騒音も届かない、完全な沈黙の回廊。壁面には、かつて地上を流れていた頃の名残なのか、水草の化石のような痕跡がへばりついていた。

ゑゑはライトの光を前方に向けた。どこまでも続く暗渠の壁に、白ペンキで走り書きされた矢印が残されているのが見えた。まだ新しい塗料の匂いが微かに漂っている。昨夜の男がつけた印に違いなかった。

自分がどこへ向かっているのか、ここがどのビルの真下なのか、もはや分からない。

だが、日々の単調な点検作業で摩耗していたゑゑの神経が、冷気の中で研ぎ澄まされていくのを感じていた。

ゑゑは胸ポケットからいつものスケッチブックを取り出した。

滴る水滴を避けながら、レンガの目地と、水の流れる角度を素早く紙に写し取っていく。この町の皮膚のすぐ下に広がる、誰の所有物でもない巨大な空白。

冷たい水を長靴で蹴りながら、ゑゑは光の届かない闇の奥へと、さらに一歩足を踏み出した。

暗渠のスケッチ

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